2014年9月28日日曜日

①無形文化遺産 トルコ・コーヒーの文化と伝統

2014年9月28日

トルコ・コーヒーの文化と伝統

まとめ  東京ジャーミィ: 外観 内観 お菓子

講演「トルコ・コーヒーの文化と伝統」

①無形文化遺産   ②オスマントルコ ③カフヴェ

一杯のコーヒーには数多の思い出。

心が欲するのはコーヒーでもコーヒー店でもない、

心が欲するのは友人、カフヴェはたんなる口実。

①無形文化遺産






世界無形文化遺産「トルコ・コーヒーの文化と伝統」 


 ヤマンラール水野美奈子


龍谷大学 国際文化学部 国際文化学科 教授 文学博士(イスタンブル大学)

国立民族博物館共同研究員
     
東京外国語大学アジア・アフリカ言語文化研究所 共同研究員
     
慶應義塾大学言語文化研究所 兼任所員
     
国際トルコ美術史学会運営委員

【学歴】

1970年 慶應義塾大学 文学研究科 美学・美術史

1971年 イスタンブル大学 社会学研究科 美術史専攻




トルコとは何か

座談会「トルコとは何か」

Ⅰ トルコの歴史と文化

伝統と近代の間で 【トルコ史600年を往還する】
  鈴木董
トルコ共和国の根幹 【絶対不可侵と世俗主義の現在】
  内藤正典
トルコ民族主義とイスラーム
  坂本勉
イスラムとトルコ
  設楽國廣
エディルネからハッカリまで
  三宅理一
イスタンブル・過去と現在
  長場紘
トルコのモスク 【多様な歴史に織りなされた建築の空間美】
  山下王世
アジアを東西に横断した民族の国、 トルコ
  安達智英子
トルコの美術
  ヤマンラール水野美奈子
トルコ漫画小史
  横田吉昭
トルコ―ヨーロッパ関係史
  新井政美
トルコから発信されたチューリップ文化
  ヤマンラール水野美奈子
トルコとブローデル
  浜名優美
地中海世界を凝縮した国
  陣内秀信
日本・トルコ関係史
  三沢伸生
イスタンブルの日本商店
  高橋忠久
トプカプ・サライの日本・伊万里焼
  三杉隆敏
トルコと日本 【半世紀前の報道から】
  牟田口義郎
歌から始まった出会い
  庄野真代

Ⅱ オルハン・パムクの世界

この時代のためのノーベル賞受賞者
  マーガレット・アトウッド
さあ、この街を眺めよう 【『イスタンブール』 を読む】
  ロータル・ミュラー
闘争的でない芸術家を讃えて
  バルバラ・スピネッリ
大きな 「雪」 のこと 【『雪』 の鑑賞と分析】
  莫 言
激動のトルコ現代史を舞台に描いた革命と愛の詩 【『雪』 を翻訳して】
  イ・ナナ
アフメト・ハムディ・タンプナルとトルコ・モダニズム
  オルハン・パムク
神秘思想で読み解く 『わたしの名は紅』
  岡田明憲
東からの問いかけ 【パムク文学とは何か】
  河津聖恵
オルハン・パムクの作品世界
  和久井路子
トルコ文学のなかのオルハン・パムク
  勝田 茂

Ⅲ 資料編

関連地図
トルコ関係年表
オスマン帝国の歴代スルタン




・トルコ・コーヒー 世界無形文化遺産に登録 2013年12月5日



トルコ政府観光局のプレスリリースより サイト

ユネスコの世界無形文化遺産はトルコにもあります 

「トルココーヒーの文化と伝統」 

 2013年1 2 月 5 日(木)、 ユネスコ( 国連教育科学文化機関 ) の 世 界 無形文化遺産 へ日本
の「和食」とあわせ 、 「トルココーヒーの文化と伝統」の 登録が正式に決まりました。

コーヒーは昔、修行僧のための飲み物でしたが、社交場の飲み物として開花したのはイスタンブルが発祥。16 世紀中頃のオスマン帝国時代に、現在のイスタンブル旧市街でコーヒーが振る舞われ、博識な人々が集まりコーヒーを飲んでいたという、一種の社交場でもあり、まさにカフェの原型となるものでした。

 現代において、コーヒーにはいろいろな抽出方法がありますが、粉を挽き、水と一緒に煮だして、
上澄みだけを飲むというトルココーヒーは、非常に原始的な方法といわれています。この「トルココーヒーの文化と伝統」が、世界無形文化遺産へこのたび登録されました。


 ほかにもトルコ料理は、2011 年に「ケシケキの伝統」が世界無形文化遺産に登録されています。
ケシケキは、いわゆる麦粥。麦と肉、タマネギを水と油で一晩かけて煮込んで作ります。ケシケキは結婚式や割礼式、祝日、雨乞いなどの儀式をはじめ、宗教的な特別な日に食べられていました。もちろん今でもトルコの多くの地域で食べられており、歌を歌いながら音楽にあわせて小麦を脱穀し、すりつぶす儀式全体が、世界無形文化遺産として登録されました。


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・トルコ・コーヒーが、なぜ世界無形文化遺産に登録されたか?

2013年に日本の和食と同じくユネスコの世界無形文化遺産に「トルココーヒーの文化と伝統」が登録された。今や様々な抽出方法で世界中の人々に愛されているコーヒーだが、なぜトルココーヒーがユネスコに登録されたのか?

 そもそも、現在の「焙煎した豆から抽出したコーヒー」が登場したのは13世紀以降と見られる。コーヒーの歴史を調べていくと最初は一部の修道者だけが用いる宗教的な秘薬であり、生の葉や豆を煮出した汁が用いられていた。焙煎による嗜好品としての特長を備え一般民衆へも広がったと言われ、その発祥がトルコのイスタンブルだそうだ。16世紀中頃のオスマン帝国時代に、イエメン統治者オズデミル・パシャによりコーヒー豆が皇帝に献上されたのが約450年前。現在のイスタンブル旧市街でコーヒーが振る舞われるようになり、博識ある人々がコーヒーを囲んで議論を交わしていた。それはまさにカフェの元祖。これはヨーロッパにカフェが誕生する1世紀も早い時代のことだ。日本へは18世紀末にオランダ人が持ち込み、最初の記録は1804年の大田南畝による。

 トルココーヒーは、細かく挽いたコーヒーの粉を水から煮立てて上澄みだけを飲むコーヒーの入れ方の一種。挽きたての豆を極めて細かく粉砕し、それに冷たい水と砂糖を加えポットにいれストーブの上で煎じ泡立てる。コーヒーハウスで飲むだけでなく、婚礼儀式や祝祭日などの社交の場でも重要な役割を担い、カップに残った粉は飲んだ者の運勢を占うなど、トルココーヒーはトルコの人々の生活、文学、歌、冠婚葬祭に欠かせない。

 世界無形文化遺産に登録された主な理由は、トルココーヒー文化の知識や技術を次世代に引き継いできたこと、豊かな伝統文化を兼ね備えている無形文化財を可視化することができること、コーヒー愛好家にトルココーヒー文化の理解を深められることなどである。

トルコを訪れて、コーヒーが嗜好品となったルーツのトルココーヒーを味わいたい。カルダモンやシナモンなどのスパイスで風味付けしたトルココーヒーも人気らしく、濃厚で自然な甘みのある深い味わいはトルコだけではなく、中近東諸国でも広く飲まれている。


・世界の現代社会が共有するコーヒー、カフヴェ文化の原点がオスマン帝国時代16世紀以降のカフヴェあるいはカフヴェ・ハーネ(コーヒー店)にある。

・カフヴェ(コーヒー)嗜好品

・コーヒー店:安らぎの場・人々の交流の場、文化・教養の場、娯楽の場 等


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・18世紀のイスタンブルのカフヴェ トプカプ宮殿を望む



・ハレムでの女性たちとコーヒー





一杯のコーヒーには数多の思い出。

心が欲するのはコーヒーでもコーヒー店でもない、

心が欲するのは友人、カフヴェはたんなる口実。

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トルコの世界無形文化遺産とコーヒー



メッダー(漫談) カラギョズ(影絵芝居) ソフベット(団欒・談笑)

※ソフベット(団欒・談笑)

 検索するも詳細不明。 参考 ブログ「世界遺産道楽」




 このソフベットという文化はこれから世界的に重要になると思う。
コミュニケーションのマナーが重視される。
なぜなら、twitterの炎上など、ネットでのコミュニケーションのあり方に影響すると思うので。

 サイトへのくだらない書き込みは、他人の家の米櫃に砂を撒くようなもの。

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・イスタンブルの町のコーヒー商人



・コーヒーの語源



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・コーヒーの歴史 

シャーズィリー教団 

・・スーフィズムとシャーズィリーヤ教団  ブログ 百珈苑BLOG 

・・もう一つのスーフィズム:シャーズィリー教団の関わり サイト

現代中東イスラーム世界・フィールド研究会 サイトより

 ジャーズーリーヤ教団は1952年に活動を始め、1993年に公認タリーカになった新しいタリーカである。 

 ※詳細不明

アブー・ハサン・シャーズィリー Sidi Abu al=Hasan al=Shazili  

・・クシャイリー『クシャイリーの論攷』より「スーフィー列伝」 解題・翻訳ならびに訳注  サイト


スーフィズム ウィキペディア

   カッワーリー ウィキペディア  YouTube  ※ゴスペルの様な踊れる宗教音楽

 アッタール「聖者列伝」

  イスラームの聖女ラービア・アサウィーヤ サイト

   トルコ映画「ラービア」
 


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・コーヒーの歴史


シャーズィリー教団の創始者アブー・ハサン・シャーズィリーがメッカ巡礼の際に飲んだ。

後に、オスマン帝国では、コーヒー職人から、アブー・ハサン・シャーズィリーはピール(開祖)として尊敬を集めた。



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メッカ、メディナからカイロ、アレッポ、ダマスカスへ





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・現代トルコ社会でのコーヒーの伝統



・コーヒー商人 


サイト MEHMET EFENDIの歴史 より (Google翻訳)

 19世紀後半までは、コーヒー豆は、生販売された。 彼らは自宅で焙煎した後、手で操作するコーヒーミルを使用粉砕した。 メフメットエフェンディは父親ハサンエフェンディのスパイスと緑のコーヒー豆専門店を受け継いだ時にこのすべてが変わった。 

 メフメットエフェンディは、イスタンブールのファティ領域内に1857年に生まれました。 スレイマニエ神学校(スレイマニエモスク複合体に付着した学校)での彼の教育の後、メフメットエフェンディはTahmis SOKAKに父親の店で仕事を始めた。 メフメットエフェンディは迫撃砲でそれらを研削し、彼の顧客にローストして、すぐ地面トルココーヒーの販売を、1871年に家業を引き継ぎ、生のコーヒー豆を焙煎し始めた。 すぐに、Tahmis SOKAK新たに焙煎したコーヒーの豊かな香りで満たした。 メフメットエフェンディのおかげで、コーヒー愛好家は準備ができて焙煎粉砕コーヒーを購入の利便性を享受することができましたし、彼はすぐに「Kurukahveciメフメットエフェンディ」、またはメフメットエフェンディ、焙煎粉砕コーヒーのベンダーとして知られるようになった。

 ハサンSelahattinベイ、Hulusiベイアフメットリザベイ:1931年メフメットエフェンディの死後、家業は彼の3人の息子に渡された。 

 メフメットエフェンディが亡くなった後、家族が正式に長男ハサンSelahattin(1897年から1944年)は、国際市場の重要性を認識し、海外でアクティブになることを決意し、1934年に彼らの最後の名前として「Kurukahveci "を取った。 このように、トルココーヒーは、国内市場においてだけでなく、海外で促進されるようになった。 


 Hulusiベイの早すぎる死の後、同社はメフメットエフェンディの末の息子、アフメットリザ·Kurukahveciの手に渡された。 アフメット·ベイは、海外で教育を受け、広告への投資を、決定的に、会社を近代化するための措置をとることを彼にインスピレーションを世界的なトレンドと開発、と連絡をした。 

 1933年、彼は会社のロゴをデザインする、İhapHulusiベイ、期間の主要なグラフィックデザイナーの一人を依頼した。 このロゴは、今日使用されたまま。 期間の革新的な広告媒体-同社はまた、ポスターやカレンダーを通して促進された。 Kurukahveciメフメットエフェンディは、自動車の会社の独自の艦隊を経由して国内市場内でコーヒーを配布し始めた。 もう一つの分岐は、ガラタサライの近傍に、ザーネSOKAKにオープンしました。 

 今日Kurukahveciメフメットエフェンディは、アフメット·リザKurukahveciが死亡した後、会社を引き継いだメフメットエフェンディさんの孫によって運営されています。 ほぼ一世紀後、メフメットエフェンディのモルタルは、最新のコーヒー機械に置き換えられました。 どのような1871年にTahmisストリートにある小さな家族経営として始まったことは、今世界的ブランドに成長しました。



Kurukahveci Mehmet Efendi Mahdumları:「クルカフヴェジ・メフメト・エフェンディ」はトルココーヒー専門店の名前。

「クルカフヴェジ」は1934年の苗字法の制定でつけた名前。

「クル」の意味は、「乾いた」つまり「焙煎した」という意味をさす。

「カフヴェ」は、コーヒーやコーヒーショップという意味。

「ジ」は「屋」という意味。

つまり、「クルカフヴェジ」という名前は日本語に訳すと「焙煎コーヒー屋」になる。




MEHMET EFENDI メフメト・エフェンディ

サイトより

 コー​​ヒーと喫茶店は、社会文化の不可欠なものになった。コーヒーは、世界の文化をつなぎひろげてゆく唯一の飲み物なので。

 最初の喫茶店は1554にイスタンブールで開かれて以来、コーヒーは芸術や文化に多大な影響を与えました。 数え切れないほどの芸術家、学生や教師は、本を読んでプレーを行い、活発な議論を保持するために喫茶店に一緒に来ている。 この状況は、イスタンブールに限定されない。 知識人とコーヒーの出会いのポイントは長いアーティストの好きな飲​​み物であったとして世界中で、喫茶店で働く。 長年にわたり、コーヒーは、アーティストの選択された飲料であった。 アーティストやそのようなアレクサンドル·デュマ、アンドレ·ジッド、モリエール、ヴィクトル·ユーゴー、オノレ·ド·バルザック、ヴォルテール、ルートヴィヒ·ヴァン·ベートーヴェンやカントのような思想家のために、コーヒー飲料よりもはるかだった:それは生活様式だった。

 コー​​ヒーは、世界中の友情と会話するためのプラットフォームを務めていると同時に、
多くの芸術作品のインスピレーションの源となっている。



心が欲するのはコーヒーでもコーヒー店でもない、
心が欲するのは友人、カフヴェはたんなる口実。

Neither coffee nor the coffeehouse is the heart's behest
The heart seeks friendship – coffee is a pretext
– Turkish, Anonymous

Gönül ne kahve ister ne kahvehane
Gönül sohbet ister kahve bahane
– Anonim














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